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昨日で阪神大震災から12年が経った。 思い起こせばその17日前、勤めていた会社を退職し、独立したのだ。 当時はMAGIC5を使って、神戸中央青果さんの汎用機システムをPC-LANリプレース開発をしていた。その開発のヤマを超えようとしたときに、あの震災があった。 阪神高速が倒壊して、瓦礫の山になった国道を縫うようにして折りたたみ式の自転車で、お客さんところまで通っていたのを思い出す。うちの会社はそういった瓦礫の廃墟から立ち上がったのだったのだった。 黙祷
大昔のdbMAGICV4(1992年頃)を2006年の今、引っ張り出して触ると、まずびっくりするのは、圧倒的な「生産性」です。 もちろんDOS時代のソフトですから、できることはとても少ないのですが、その範囲内だと他を引き離した、ずば抜けた生産性と移植性がはなつ魅力は、今でも色あせてないように思います。(当時は富士通/東芝といった国内勢ですら、それぞれに合わせてプログラムを開発する必要がありましたから、) Windows版としてバージョンアップしていった頃から、「出来ること」を増やしていった分、トレードオフとして「生産性」がどんどん犠牲になり、いまや他のツールや言語とのアドバンテージは、はたしてどれぐらいあるのか疑問です。 もちろん昔からdbMAGIC触ってきた人にとっては、経験と思いいれがある分今でも生産性は高いと思いますが、今から初めてMAGIC触る人にとってそこまで生産性が引き出せるんでしょうか? (今から初めてdbMAGIC触る人なんて、年間いったい何人いるんでしょうか?) その人たちにとって、今のdbMAGICは果たして、学習しやすく、生産性の高い代物なんでしょうか? 教育制度や支援する情報環境もひっくるめて。 テレビのリモコン、携帯電話なんかは、時代と共に高機能化してきました。(それを使いこなしている人って、国内に何人いるんでしょうか?) iPODとウォークマンを使い比べてみると分かりますが、iPODの方が使い勝手はシンプルで、操作性が優れています。 操作性というのは機械単体の話ではなく、音楽のダウンロードサービスもひっくるめた 「機能」としての話です。 音楽をダウンロードして来て、それを聞いて楽しむ。 たったこれだけのことですが軍配はiPODに間違いなくあがります。 それはアップルが、「人間が」音楽を楽しむということを 「全体でとらえて」 機能アップを目指しているからで、「視点」がSONYとは違うような気がします。 dbMAGICもソフトウェア単体がいくら、バージョンアップに突っ走っても、それを使う人間に 「提供する機能」 全体を見直さないと、黄金時代なんか二度と戻ってこないように思えるのです。
こないだ10年ぶりのお客さんを訪問してきました。 販社経由のお仕事だったんで遠慮して今までは年賀メールでのご挨拶程度だったんですが、先方の役員がわざわざ当社にまで来て頂いたのに恐縮して、お礼訪問に行って参りました。 10年あいだが空くと随分様子は変わっていましたが、dbMAGIC7で作った僕のシステムはまだ現役で動いておりましたので嬉しくなり、10年間の空白を埋めるべくいろんなお話をお聞きしてたらあっという間に2時間が過ぎてしまいました。 当時のシステム構築はオフコンからのリプレースでしたが、工事材料の卸商社機能を徹底的に効率化するということを目指して、現場の仕事の流れも細部まで見直したのを覚えています。 分析の為のユーザーヒアリングに、あちこちの営業所で深夜まで打合せし、「こういった伝票入力なら能率が上がる」「その作業自体をやめて、こうやったほうが結果として仕事が楽になるのでは?」といった議論を重ねながら、4ヶ月という短い工期の中で仕様確認書を作り、プロトタイプをおこして、突貫開発を行いました。 開発が終わると同時に小笠原諸島にリフレッシュ休暇に出かけましたが、突貫で作っただけにアチコチにバグが隠れていて、父島に居ながら(何しろ一旦島に来ると翌週まで本土に帰る船が来ないので)デバッグしたのも懐かしい思い出です。...(^^; 当時の通信インフラでは、CTLファイルを送り込むような大容量の通信はISDNでしかできなかったのですが、父島の民宿にそんなもんあるはずもなく、島のNTTまで行って、そこの設備を借りて(衛星経由のISDN通信とのことでした)デバッグしたCTLファイルを客先に送り込みました。 最初、ISDN公衆電話だと何度やっても通信エラーが出て送り込めまず、冷や汗かきながら再トライ。それ繰り返してたら気の毒に思ってくれて、しまいに局内の専用回線貸してくれました。 こっちは品質が格段に良くって一発で送信完了。島の人はさすがに親切で、通信費は一切請求されませんでした。(^^) ※父島でノートブックパソコン持ち込んでISDN通信するなんていう画期的(!?)なお客は、その時まで一人も来なかったってのも、NTTの保守担当技術の人のハートをくすぐったようです それはさておき.... その時のことを役員さんが覚えてくれていて、古くなってきだした今のシステムを近々リプレースし
SE(システムエンジニア)とプログラマの境目って、どこなんだろうな? よくSEと称する人で、仕様書しかまとめめられない人がいる。 昔、お客さんところに、前社でオープンシステムに携わっていたっていう50代の人が入ってきたけど、プログラム全然組めなかった。 開発現場の管理職としては仕事してたけど、何十年もプログラミングからは離れてたんだろうな。 こっちの話は分かるけど、書類をまとめる以外何一つ自分では出来なかった。もちろん現場から、いろんなカイゼン要求があがってきても(ほとんどはEXCELでマクロで充分実現できるのに) 実現性0だから、そのうち現場の皆から無視され始めた。 しまいに前任者(横領で突如馘首になった)が仕様決めて、それに則って作ったこっちのシステムにケチ付け始めて、「このままじゃ業務にならんから、損害賠償せい」とか言い出した。 こっちもこの世界でプロとして飯食ってるんで、そんな脅しに乗る筈も無く、仕様決定の経緯を記載した議事録、改変履歴など計100ページほどの資料を再提出して読み上げていったら、途端に声が小さくなった。そのうち半年もすると、いつのまにかいなくなっていた。 まぁ前の会社リストラされて、やっと探し当てて入った会社で、前任者が懲戒免職による引継ぎ0の状態でしかシステムに関われなかったのは同情する。親族同士での乗っ取り騒ぎの真っ最中にあって、新社長の覚えを少しでもよくするために言い出したんだろうけど、あまりにも情けない。 「プログラマとSEの境目」って話からは随分ずれちゃったけど、最近よく言われる「現場力」ってのは、IT業界だと、どれだけプログラム実現能力があるかってことは、ひとつの大きな目安だろうね。 もちろん、ひたすらプログラム組むことだけが好きで、それしか出来なくって、仕様のとりまとめなんかさせたらパッパラパーな奴がいっぱいいるから、必要条件ではあるけど充分条件ではないのはいうまでもない。 ましてやプロジェクトのリーダーがプログラミングに没頭した挙句、チーム全体の動きが止まっちゃって納期も品質もNGになったプロジェクトはいくつも見てきたから、やはりSEと称するからには仕様と設計、テストという本来の仕事を全うすべきであることは言うまでもない。 特にdbMAGIC使いの中には、おもいつきでプログラム組んでグチャグチャにしながら金だけ取っていく輩もい
dbMAGICでもなんでもそうだが、プログラムを作ることだけが仕事だと思っていると悲しい。 エンドユーザーは、なにがしかの不便や不満をプログラムがあれば解決すると思っているから、高い予算でも飲んでくれるのだ。 「言われたとおりに作って、なにが問題なんだ」という意見もあるが、それではIT技術者として悲しい。 確かに「魔法の箱」は無理だが、それでもユーザーの「本当の希望」が何かを感じ取る能力は、技術者が必ず身につけなければいけない能力なのではないかと思う。 だからといって「女心」が分かるのか?と言われると、それはそれでツライ....(^^; そんなもの分かる能力があるならば、もっといい人生か、もっと悲惨な人生か、どっちかを送っていることだろう。
世間で絶滅対象ソフトとか言われているが、それなりにしぶとい。 同業他種は何年も前に消息が不明になったが、さすがに日本国内で30万本以上の流通実績(実行版)は伊達じゃない。  なぜ生き残れたのか、これからも生き残っていくのか? 雌伏中とかいう奴もいるが、ホントにそうか? 寝たふり続けてホントに眠った奴もいるぞ。 まぁそんないろいろなことを書き綴って生きたいと思う